恋愛共依存症から抜け出す。どうすれば幸福な恋愛へと向かえるのか

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
恋愛共依存症

「ヒモ男」ばかりをなぜかつかまえてしまうと嘆くH子の話だが、彼女は男性以外との恋愛経験は決して少なくはない。結局のところ、文句のつけようがあまりない男性との恋愛に限って、自ら別れを告げてしまうようなのだ。

その最後のセリフが、「どうせ私のことなんかどうでもいいんでしょ!」なのである。相手に飽きた、他に好きな人ができた、この人とは合わないと思ったからなどの理由ではなく、「私をちゃんと愛してくれていない」という相手への不信感・不満感が爆発して終わるのである。

そのパターンを見てみると、やはり最初はハネムーン状態であり、「この人だったら、私のすべてを満たしてくれるに違いない」と、のぼせあがる。そして、もっと自分を愛してもらおう、この人が自分から離れていかないようにしようと努力する。相手が一人暮らしであれば、掃除、洗濯、食事など、かいがいしく世話をするし、悩みの相談などの精神的ケアも行う。相手のわがままも、がんばって聞き入れ、そんな自分にどこか満足感を覚えたりする。

本人の言葉を借りれば、「尽くし抜く」のである。だが、つきあって二、三カ月も経つと、しだいに不信感が芽生えてくる。「この人はもう私を愛していないのではないか」。その証拠というのも、「仕事が忙しいから今週は会えない」と言われたとか、「明日は飲み会があるから、メールも電話もしない」といった、普通で考えれば何でもないことだ。

しかし、彼女にとってはそれは立派な「拒絶」や「浮気」の証拠の一つなのである。興味深いのは、つきあい始めの頃では、こうしたことを言われても何とも思わないことだ。だが、数カ月経つと、どんなささいなことでもネガティブな証拠となってしまうのである。

この理由は明白だ。初めだけは「愛されている」という自信や実感が持てる、しかし、「自分は愛されるはずがない」と自分自身で思っているから、その自信や実感は決して長続きしない。

だから、「自分は愛されるはずがない」証拠を自分から探し求めてしまうのだ。そして、自分ではその深層心理のメカニズムに気づいていないため、「私がこんなにがんばっているのに、あなたはちっとも私を愛してくれないじゃない」とあたかもすべての原因が相手にあるかのように見えてしまうのである。

では、なぜH子は「ヒモ男」だと長続きするのだろうか?それは、「この男だったら、私のもとを離れないだろう」との安心感を持てるからである。文句のつけようがない相手であるほど、「いつか捨てられてしまうのではないか?」との不安感が強くなることは想像にかたくない。自分と相手との力関係を無意識的に推し量り、自分のほうが上だと思えれば安心できる。そうでないと、不安感から逃れたくて関係を絶ってしまう。

基本的信頼感が欠如しているほど、そうした傾向は強くなるのである。彼女はなぜ自分自身や他者に対する根源的な愛を持てないのだろうか。話を聞く限りだが、それは彼女の両親が非常に「完全主義的」であったことに大きな原因があると思われる。

まず、一般論として、完全主義的な親を持った子どもの例を挙げてみよう。このタイプの親は子どもがどんなにがんばっても、どんなに優秀な成績をおさめても、「まだまだ十分ではない」「そんなことで満足してはいけない」と冷水を浴びせかける傾向にある。同時に、子どもの欠点や失敗を鋭く指摘して、「あなたって本当に駄目な子ね」とのメッセージを暗に伝えてしまうことも多い。

そうすることで親は子どもの向上心に訴えかけようとしているのであろうが(親のセリフとしては「子どものためを思ってそうしている」がお決まりである)、少なくとも心理学的には子どもに大きな悪影響が及ぼされる。

たとえば、子どもは「がんばらなきゃ、もっと上を目指さなきゃ」との強迫的な向上心、「自分は駄目な人間だ」との劣等感、「どんなことをしても幸せが感じられない」との慢性的な不幸感を持って人生を生きていかねばならなくなる。

完全主義的な親が心の中にいつまでも 棲み着いて、絶えず自分を非難しているのだ。いわゆる「いい大学」や「いい会社」に入って、「いいポジション」につけたのも、両親のおかげだと彼女は言う。ただし、皮肉っぽく、自嘲気味にだ。彼女の両親はともに教師であった。彼女に対しても、教師であった。勉強のことから生活のことまで細かく注文をつけ、その期待通りになることを博子に要求したのである。

その期待に逆らうことは許されなかった。本人によれば、強制というあからさまな形を取らず、「あなたのためにはそうしたほうがいいのよ」との形を取っており、「真綿で首を絞められる」ようで余計に苦しかったという。そしてまた、両親の期待に添えることもなかった。なぜなら、期待に応えることができたとホッとした瞬間、またさらに別な期待をかけられたからである。

このようにして、H子は自分自身を愛する(ありのままの自分を受け容れる) 機会を与えられないまま、大人になったものと思われる。表面の姿、他者から見た姿とはまったく逆に、博子は自分自身についてコンプレックスを、嫌悪感を持っているのだ。

また、彼女の深層では、他者は常に自分に対して要求を突きつけてくる、恐ろしい存在として認識されているものと思われる。こうした深層心理が原因となって、恋愛において、完璧な相手には両親の姿が投影され、どんなにがんばっても、愛してはもらえない悲しみや憤り、見捨てられるのではないかとの不安感でいっぱいになってしまう。

だから、恋愛関係を続けることができない。一方、「駄目な人」だと、根本的な部分でやすらぎや安心感を覚えることができるのである。

一度きりの経験が生むトラウマ

「分離・独立」「アダルトチルドレンと生き残るための役割」「基本的信頼感」といった視点から共依存や共依存的恋愛の深層心理に光を当ててきた。これらの要因が密接にからみ合っていることはおわかりいただけるだろう。たとえば、アダルトチルドレンを生む機能不全家族では、分離・独立の失敗が起こりやすいし、基本的信頼感の獲得が困難になるという相互関係があることは明白である。

こうした「親子関係」や「家族関係」による要因が圧倒的に大きな影響を与えるのは事実だが、それ以外の要因があることも付け加えておこう。たとえば、過去の恋愛経験である。

たとえ親子関係がうまくいっていて、基本的信頼感や分離・独立、身につけた役割に問題がないとしても、強烈な経験がそれらを悪い方向にひっくり返してしまうことがないとはいえない。

初めて愛を打ち明けた相手にひどいふられ方をした、互いに深く愛し合っていると思っていたのに相手はずっと浮気をしていたことが発覚した、これで一生幸せが続くと思ってした結婚が悲惨な結果に終わった……こうしたことがトラウマとなって尾を引いてしまうことがある。

一度限りの経験が、その人がこれまでの人生で積み上げてきたものを根底から変えてしまうことがあるのも事実なのだ。子ども時代などの「長きにわたる経験」の積み上げが大きな要因になりうることは当然だが、「一度の強烈な経験」が長きにわたって大きな影響を及ぼすケースがある。

共依存症から脱出するため

「共依存症を根本から治す」ことは、正直なところ、かなり困難な道のりである。カウンセラーなど他者からのサポートも必要となるだろう。長期戦を覚悟しなければならない。

しかし、こと「共依存的恋愛から抜け出す」という点に限っていえば、以下の三つのキーワードが必ず役に立つだろう。「では、どうすればより幸福な恋愛へと向かえるのか」という点に絞って要約したと思っていただければよい。

この三つの言葉を頭に叩き込み、自分を変え、少しでも苦しみから抜け出し、幸せをつかむための武器にしていただきたい。

1.安定

「性格を変えることは可能でしょうか?」との質問がある。答えは間違いなく「Yes」だ。およそ思春期までに性格の根本的な部分は決定されてしまうともいわれ、確かに歳をとればとるほど性格は固定化されていく。

しかし、何歳になっても「もう変えられない」ということはない。しかし、「性格を変えたいと思っているのに、変えられない」のが多くの人の実状だろう。性格というのはその人が持つ行動パターンの集積であると定義できるのだが、あなたはこれまでずっとその行動パターンで人生を過ごしてきた。

その行動パターンでここまで生きてくることがでた。その行動パターンの一部によって、多少の不利益は被ってきたとしても、ここまで何とかやってこられたのだ。だから、あなたは他の行動パターンを知らないし、他の行動パターンを試してみるのが怖いのである。なぜなら、深層心理では自分自身がその性格を変えたくないからだ。

他の性格になるためにはどうしたらよいかわからないし、そうするのが怖い。これが、性格を変えたいと思っているのに、なかなか変えられない理由だ。「なんだかんだでここまでやってこれたじゃないか。今さら変える必要はないし、変えるのは危険だよね?」という心の声に説き伏せられるのである。

これを「共依存的恋愛パターンを抜け出したいと思っているのに、抜け出せない」にそのままあてはめてほしい。すると、答えはすぐに明らかになる。「深層心理では共依存的恋愛から抜け出たくないと思っている。でも、他の恋愛の形を知らないし、今までにないパターンの恋愛をするのが怖いから」である。

分離・独立の失敗や生き残るための役割についての話を思い起こしていただければわかるように、親子関係・家族関係の中で身につけてきた人との関わり方のパターン、自分が得意とする・自分が唯一知っている・慣れ親しんでいるので安心できる・一応は生き残ることを成功させたそのパターンを押し通そうとするのである。

そのパターンの中にいる時に、あなたはもっとも「安定」できるのだ。  他の人から見れば「?」をつけざるを得ないような恋愛でも、あなたにとってはそれがもっとも安心できる愛の形なのだ。

表層意識では「こんな関係、早く抜け出したい」と思っていても、深層心理では「そうそう、これが私にとって一番安心できる関係なのよね」と思っていたりする。人からアドバイスを受けたり、テレビや雑誌を見て何か新しいことを始めたとしても、すぐに「やっぱり今のままでいいや」ともとに戻ってしまった経験は誰にでもあるだろう。

また、「新しい店を開拓するのはいろいろ面倒くさい」という理由だけで、大してよくもないなじみの店についつい通ってしまうということがあるかもしれない。それと同じことなのだ。

実は、自分自身がつらい恋を望んでいた、自分にとってはつらい恋が一番安心できるものだったのだ。これを認めるのは非常に苦しいことである。しかし、それを認めることからすべてが始まるのである。

2.再挑戦  

子ども時代における自分と母親の関係を再現し、「今度こそはうまくやってみせる!」と、恋人に象徴された母親を救うとともに、自分の価値や力を証明したいのである。あの時は母親を救うことはできなかった。それによって、無力感や罪悪感が自分の心の中にトラウマとして残ってしまった。だから、それを克服するためには、もう一度あの時、あの場面に戻り、今度こそ勝利する必要がある。そうして初めて、自分はやっと心の傷を癒すことができる。

過去(特に子ども時代の親子関係) の場面を再現したいという強い欲求のことを「反復強迫」と呼ぶ。それには前に挙げた「安定」の要因だけでなく、過去をやり直したい、過去の過ちを正したいという「再挑戦」の要因がある。

誰にでも「再挑戦」への欲求はあるが、共依存症者の場合には、心の傷が大きいがゆえにその欲求も強迫的といえるほどに強いのである。過去にやり残してしまったことという意味で、「未完の仕事(unfinished business)」という言葉が使われることもある。未完の仕事をやり遂げるために、わざわざ自分を苦しめたはずの親に似た相手、自分に苦しみを与えた過去の恋人に似た相手を選んでしまうのである。

たとえば、アルコール依存症の父親を持つ女性がいたとする。おそらく、父親のアルコールのせいで、家族が混乱状態に陥っていたり、子どもとして得られるはずであった父からの愛情も十分ではなかっただろう。

すると、この女性がもっとも欲しているものは何なのか。それは父にお酒をやめさせ、家族に平和をもたらし、父からの愛情を十分に得ることなのである。「お前たちに迷惑をかけて本当にすまなかったな。お父さん、お酒をきっぱりやめるよ。これからはお前たちを幸せにするからな」。この言葉が欲しいのだ。

それこそが彼女の人生において、もっともやらなければならない本当の仕事なのだ。その仕事をやり遂げるためには、相手となる男性が「いい人」ではダメなのである。父と同じような人間でなければならないのだ。

しかし、親子関係やアダルトチルドレンの話で危険なのは、「そうか、親が諸悪の根源だったのか」と親への恨みや憎しみを募らせたり、「親のせいでこうなってしまったんだ」と過去や親子関係を自己憐憫の道具にしてしまうことである。だが、それではますますワナにはまっていくだけだ。

心理的にさらに親に取りこまれ、より一層、親の影響を受け続けることになるからだ。「再挑戦」を放棄することが、幸せへの道なのである。

3.アッパー・リミット

「幸せに耐えられない」……この言葉に対しては、深く共鳴する人と、まったく理解できないという人に極端に分かれる。「人それぞれ耐えられる不幸のレベルがある」という話には誰もがうなずいてくれるが、「人それぞれ耐えられる幸福のレベルがある」という話に関してはそうではないのである。

非常に幸福な気分でいた時に、突然何かしら嫌な考えが浮かんできて、先ほどの幸福はどこへやら、との経験は誰にでもあるだろう。たとえば、お酒の席で楽しく騒いでいた瞬間に「こんなことしていていいんだろうか?」との考えが浮かんできて気分が沈んでしまったり、恋人と楽しくデートをしている時に「こんな幸せがいつまで続くんだろうか?」「こんなに幸せな分、後で大きな不幸が来ないだろうか?」と突然不安に襲われるような場合である。

何事にも「波」というものがあるが、いい気分を長続きさせないようなプログラムが私たちの中には存在しているようなのである。

ゲイ・ヘンドリックス&キャサリン・ヘンドリックスは『Conscious Loving: The Journey to Co-Commitment』(邦題『コンシャスラブ』片山陽子訳/春秋社) の中で、この、幸福(肯定的エネルギー) の増加を制限する心の作用のことを「アッパー・リミット」と呼んでいる。

つまり、幸せという気持ちが高まっていった時、その人のアッパー・リミットのレベルを超えてしまうと、その幸福感を下げるような働きが自然になされる(無意識的に自分から幸せを壊そうとする) ということである。

恋愛であれば、楽しいデートの最中、突然ケンカをふっかけるようなことを言ってみたり、よい関係が築きあげられてきたまさにその時に、浮気をして関係を混乱させてしまうといったことである。

共依存症者は、このアッパー・リミットが低い人が多いだろう。自己否定感が強いために、自分が幸せであることが信じられなかったり、許せなかったり、怖くなってしまったりする。そのため、幸福な恋愛を自ら避けたり、自らの手で壊してしまうということが起こるのである。

それにプラスして、「つらい恋=美しい恋」という図式が追い打ちをかける。小説、演劇、映画、ドラマ、歌詞……これらをはじめとして、社会的・文化的にこの図式が私たちの頭の中に強力に押し入ってくる。また、特に女性に対しては、「どんなに虐げられても、尽くし抜くのが女の美徳」という価値観も実はいまだに根強く残っているところがある。

すると、恋愛で不幸のどん底に陥っているのに、どこか自己陶酔してしまうということが起こりうる。

自ら進んで不幸を甘受していないか、再点検してほしい。「しょせん、自分にはこの程度がふさわしい」「どうせ自分は幸せになれない」「むしろ、私は幸せになってはいけない人間だ」などとあきらめや絶望の気持ちとともに我慢していないか、自分に問いかけてみてほしい。
もしそうだとしたら、なぜ自分は幸せになってはいけないのか、ぜひ考えてみてほしい。はたから見ればおかしくて理不尽な根拠や理由、他人から押し付けられた言葉や価値観、自らを檻に閉じこめるような自己抑圧が原因になっていたりしないだろうか? そうしたものに負けてはいけない。

あなたは幸せになっていいのだ。「私は幸せになっていい」と自分に何度でも言い聞かせよう。自分が幸せになることを、自分が許してあげられるようになるまで何度でも。あなたの今の状況は私にはわからないが、きっと、そこまで苦しむ必要はないはずだ。

あなたは幸せになっていいののだ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

SNSでもご購読できます。