恋愛依存症の特徴4つのタイプの原因と克服方法

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恋愛依存症。

恋愛依存症という言葉が広まっていったのは、1975年にスタントン・ピールとアーチー・ブロドスキーが『Love and Addiction』というタイトルの本を著して以来であるといわれる。

彼らはあるタイプの恋愛は依存症の一形態として認められうること、また特に深刻なケースでは、そのような恋愛が依存性のある薬物の使用よりも時には大きな危険をはらんでいることを示唆したのである。

しかしながら、恋愛依存症の定義や用語使用については、いまだに明確でなく、統一されていないのが現状である。欧米では「Love Addiction」という言葉は学術的研究や書籍・雑誌記事などで頻繁に用いられるものの(また、一般の人でも少なくともイメージとしては理解できるレベルになっているものの)、たとえばアルコール依存症や薬物依存症ほど明確な診断が下されるものではない。

それは買い物依存症と同じように、近年になって初めて「そのようなものが存在する」と認められてきたこと、またアルコールやドラッグのようにはっきりと目に見える・体で感じられる形で症状があらわれてこないこと(実はこれが逆にやっかいな点でもあるのだが) などが一因になっているのだろう。

まだまだ「専門的な基準はないが……」という但し書きがつけられることが多い段階であるように思われる。

たとえば、依存症を、

  1. 物質依存症(Substance Addiction:アルコール、ドラッグ、食物などの「物質」に依存する)
  2. 行為過程依存症(Process Addiction:ギャンブルや買い物などある特定の行為を行う「プロセス」そのものに依存する)
  3. 関係依存症(Relationship Addiction:共依存症とも呼ばれ、「人間関係」に依存する)

の三つに分け、この三番目の「関係依存症」と「恋愛依存症」をイコールで結びつける向きもある。しかし、そのような分類・定義をしない研究者もまた数多くいるのである。

恋愛依存症を上位概念とし、そこに含まれる下位概念として四つのタイプを位置づけるのである。マーチンという研究者も同様の位置づけを行っているが(ただし、マーチンは回避依存は恋愛依存症の中に含めていない)、こうした位置づけの仕方が必ずしも研究者間で一致しているわけではないことをお断りしておく。

また、四つのタイプについては、あなたがこれまで持っていた恋愛依存症に対するイメージとぴったり一致するものもあれば、そうでないものもあるだろう。だが、各タイプの行動的特徴、行動の裏にある深層心理には、多少の、時には大きな差異があるものの、「愛に取り憑かれている」という大きな共通点が存在するのである。

依存症=「何か」に取り憑かれた人々

「取り憑かれている」ということについてもう少し詳しく述べておきたい。それはすなわち、「依存症」とはどういうことかについてに他ならない。

いきなりの質問になるが、あなたは何に「依存」して生きているのだろうか? 目を閉じてしばし考えていただきたい。

依存というと、アルコール依存や薬物依存がイメージされたり、また、「何かに頼らなければならないほど弱い・みじめな状態」というイメージが一部にあることは確かだろう。

だから、依存という言葉にはどこかネガティブなニュアンスがあり、ひょっとしたらあなたは「何を失礼な、私は何に対しても依存などしていない!」と憤りを覚えたかもしれない。

しかし、果たしてそうだろうか?では、言い方をこのように変えてみたらどうだろうか。あなたが「生きるよすが」としているものは何だろうか?「これがなければ生きていけない」と考えているもの、もしくは、「これこそが人生で一番の楽しみだ」と考えているものは何だろうか?

「これを手に入れる(実現する)ことこそ人生の目標だ」と考えているものでもよい。今度は先ほどより答えを見つけるのが容易になったはずである。

ごく一部だが、挙げてみると、家族、娘、息子、恋人、お金、酒、セックス、仕事、音楽、食べること、競馬、昇進、サッカー、野球、ファッション、本、ゲーム、恋、カメラ、学問、パチンコ、ダンス、犬、猫、釣り、健康、コンピュータ、美しくなること、植物、有名になること……etc.。

私たち一人ひとりには、必ず何らかの「なくてはならないもの」が存在する。もちろん、それは食料といった生理的な意味ではなく、心理的な意味でだ。

たとえば、マスローという心理学者は、人間の持つ欲求は階層をなしており、低い階層の欲求が満たされると順次、上の階層にある欲求へと進んでいくという「欲求の階層説」を唱えている。

その階層とは、まず、「生理的欲求」→「安全欲求」(身の安全の保障) という二つの基本的・生物的な欲求があり、その後、自分を受け容れてくれる人や集団が欲しくなるという「所属・愛情への欲求→他の人に自分を認めてほしい、他の人から高く評価されたい・尊敬されたいという「承認・自尊への欲求」→自分自身をより向上させたい、自分の力を発揮させたい、あるべき理想の姿に近づきたいといった「自己実現欲求」である。

つまり、単に動物として生きながらえるだけということであれば、とりあえずの食料と安全が保証されているだけでよい。だが、人間は(少なくとも必要最低限のものは手に入れてしまった多くの人は) それだけで生きることはできない。ただ単に「生きている」という状態ではなく、「充実して生きている」状態を求めるのである。

そのためには、必要最低限のもの以外の「何か」が必要なのだ。生きている意味、生きていることの素晴らしさを実感させてくれる「何か」が……。 「誰でも必ず『何か』に依存して生きている」と言っているのはそのような意味なのである。

問題は、その依存の対象、あなたにとっての「なくてはならないもの」が何であるかということだ。そして、依存の程度がどのくらいかということだ。別の言い方をすれば、もし「それ」がなくなった場合(手に入らない場合、実現しない場合、できない場合)、あなたがどれくらい身体的・精神的に耐えられるかということである。

依存症とは、依存の対象が社会的に認められないものであったり、あなたの健康や精神、社会生活を蝕むものであること、また、それなしで生きていく力が極端に低くなり、あなたに何らかの害を及ぼすようになることなのである。「何かに依存している」ということと、「依存症に陥っている」ということの違いがそこにある。毎日の晩酌が楽しみで、一杯のお酒が一日の仕事の疲れを癒してくれ、明日への活力源となる。

逆に晩酌ができないと、一日のすべての楽しみが奪われたようで、がっくりと肩を落としてしまう……これなら、確かに酒に依存しているとはいえるが、依存症ではない。だが、もはや楽しみどころではなく、酒なしではいてもたってもいられない、考えることといえば酒のことだけ、心も体もぼろぼろになっているのにそれでも酒がやめられないというのであれば、それは依存症というしかないのである。

依存症といえば、アルコール依存症の他にも、薬物・ギャンブル・買い物・仕事・IT(コンピュータやインターネット) 依存症などその対象はさまざまである。しかし、お気づきのように、薬物を除けば、我々の誰もが多かれ少なかれ日常的に行っていることばかりである。だが、ほとんどの人は依存症ではない。

アルコールだけ、ギャンブルだけ、買い物だけ、仕事だけがすべての生活の中心になってしまっている、それに取り憑かれている状態が依存症なのである。

恋愛依存症もこれとまったく同じように考えることができる。ただ、依存の対象が愛にまつわるもの、恋愛、ロマンス、恋人、セックスになったというだけのことなのだ。そう、恋愛依存症の人にとっての愛というのは、言葉は悪いかもしれないが、薬物依存症者にとってのドラッグと同じなのである。

ドラッグは所持しているだけで即逮捕につながる。一方、愛は社会的・文化的にとろけるような甘さの砂糖で表面をコーティングされている。しかし、結果的にどんなに自分を苦しめることになろうとも、その愛から手をはなせなくなっている、それなしでは生きていけないという状態になっているとすれば、恋愛依存症と他のさまざまな依存症はまったく同じなのだ。

愛という名のドラッグは、それほど恐ろしい力を持っているのである。

恋愛依存症の特徴は「回数」である?

恋愛依存症という言葉から、「いつでも恋していないといられない、恋多き遊び人。浮気や複数恋愛も茶飯事で、今まで関係を持った相手は数十人にものぼる」というイメージを想像する人が一般的に多いようだ。もしくは、「遊び人」という響きからくるどちらかというと華麗なイメージではなく、「つきあうがすぐにふられてしまい、次の人、次の人へと渡り歩く」とか「派手な遊び人タイプにばかり惹かれてしまい、結局いいようにもてあそばれて、捨てられて、そして次もまた……」と非常に暗いイメージを口にする人もある。しかし、どちらのイメージにせよ、共通しているのが「数」を問題にしていることである。

これはたとえば、アルコール依存症といえば毎日毎日飲酒する、買い物依存症といえば毎日のように買い物をするというイメージが浮かんでくることと同じ(もしくはそこからきている) といえよう。

依存症という言葉には「頻繁に」「数限りなく」「際限なく」というイメージがあるようだ。だから恋愛依存症というと、どのような形であれ「相手をとっかえひっかえする」ことが真っ先に頭に浮かぶのかもしれない。

だが、「数が多い」のは恋愛依存症の特徴の一つであって、すべてではない。確かに恋愛依存症のタイプによっては「数」がもっとも大きな手がかりになるのだが(たとえばセックス依存)、数はまったく関係のない恋愛依存症のタイプもある(たとえば共依存)。

すなわち、ただの一度しか恋をしたことがないという人であっても、その一度きりの恋で恋愛依存症に陥ってしまうことがあるのだ。

恋愛依存症は「ごく一部の人」の「特別な病気」である?

恋愛依存症に対しては多くの方が関心を持つようだが、「へえー、そんな人がいるんだ」「信じられない!」との形で興味を引かれる方も少なくないようである。つまり、自分のまったく知り得ない世界への好奇心、言葉は悪いが珍しい生き物への好奇心のようなものである。

だが、そこが落とし穴になることもある。ドラッグという言葉には、自然に拒否反応が出やすい。しかしながら、愛という言葉に対しては拒否反応どころか、惹きつけられるのが普通である。よってその分、愛は巧妙な形で私たちの心や体の中に染みこんできやすい。

愛という形に化けただけの、毒であることもある。その点で、特に恋愛至上主義のこの世の中にあっては、私たちの誰もがいつでも、どこでも、どんな相手であっても、簡単に恋愛依存症に陥る危険性をはらんでいるのである。

恋愛依存症を「ごく一部の人」の「特別な病気」と思っている人ほど、実はその落とし穴にはまる危険を秘めている。

たとえば、あなたは以下の質問すべてにはっきり「No!」と答えることができるだろうか。

  • 「あの人がいなければ私は何もできない」と思ったことがある。
  • 「あの人なしでは、私は生きていけない」と思ったことがある。
  • 寂しさのあまり、つい好きでもない人とデートをしたり、関係を持ってしまったことがある。
  • 「私の力であの人を変えてみせる!」と思ったことがある。
  • 多くの友人から「別れたほうがいいよ」と言われているのに、どうしても別れられない。
  • 彼(彼女) の愛が手に入らないなら、何か思いきったことをしてやろうと思った(または、実際にした、そうすると脅した) ことがある。

恋愛依存症に陥っている人のさまざまな特徴を列挙してみた。ここでは、こうした傾向に対する自分自身の恋愛やセックスを今一度振り返るための一つの目安と思っていただければよい。ただし、すべての質問に「No」というのではない限り、あなたにも恋愛依存症に陥る危険性が十分にあるのだと考えておこう。

恋愛依存症は「私たちの誰もが陥る」可能性のある、「ごくごく一般的な病気」である

恋愛依存症など別に「大した問題」ではない?

アルコール依存症や薬物依存症が死につながること、買い物依存症やギャンブル依存症が破産につながることなど、依存症が本人や周囲の人物に大きなダメージを与えることはすぐにおわかりいただけるのだが、恋愛依存症は少し違ったイメージでとらえられることが多い。

すなわち、依存症といっても、愛という言葉が頭についているために、どこかロマンチックで魅力的な感じがするのである。「私はアルコール依存症で苦しんでいるんです」と言われた場合と、私は恋愛依存症で苦しんでいるんです」と言われた場合とを想像してみればよい。

そのせいか、恋愛依存症を「語る」ほうも、「語られる」ほうも他の依存症に比べるとどこか深刻度は今一つとの感がする場合が少なくない。最近、雑誌記事等でも恋愛依存症という言葉を見かけるようになったせいか、「私、恋愛依存症なんです」と自ら進んで公言する人もいるが、その背後にどこかナルシシズムが見え隠れしている場合もある。

ひょっとしたら、そのうち、「恋多き女(男)」「遊び人」と言う代わりに、恋愛依存症という言葉が使われるようになる時代がくるかもしれない。

しかしながら、実際のところ、恋愛依存症は非常に深刻な病気である。まず、「クロス・アディクション」の問題が挙げられ、恋愛依存症の人はアルコールやドラッグ、食物など他の依存症も同時に患っている場合が多い。

因果関係はいろいろあるが、たとえば、愛の苦しみから逃れるためにアルコールやドラッグに走るようになり、やがては依存症へとのパターンは容易に想像がつくだろう(逆に、他の依存症に陥りやすい人は恋愛依存症になりやすい、他の依存症に陥っているがゆえに恋愛依存症に陥りやすいということもいえる)。

第二は、恋愛依存症は人間関係そのものの病だともいえることである。恋愛依存症に陥りやすい人は、恋愛関係だけでなく、その他の人間関係でも苦労することが多い。他者と「適度な距離」を保つことが難しいのである。

たとえば、無理をしてまで他人に合わせてしまったり、理不尽な頼み事にもノーと言えなかったり、逆にすぐに怒りや欲求不満を相手にぶつけてしまい波乱を巻き起こすということもある。

よって、心地よい関係を長期にわたって続けていくことが難しいのである。家族、友人、仕事など私たちの生活の大半は人間関係で成り立っているのだから、人間関係全般で苦労するということは、生きていく上で非常に苦しいことであろう。

第三は相手の要因である。信じられないことに、恋愛依存症に陥っている人の多くは、恋人や配偶者からどんなに虐げられていようとも決して相手のもとを去ろうとしない。言葉による暴力や浮気をする、愛情をこれっぽっちも相手に示さないといった精神的虐待だけでなく、実際に身体的な暴力をひどくふるわれたり、経済的な搾取(稼いだお金をすべて相手の生活費や遊び代に取られる、相手の借金の肩代わりをするなど) を受けてもである。

特に女性に多く、「被虐待女性症候群(Battered Woman Syndrome)」と呼ばれるが、彼女たちは、大げさではなく死に近くなるほどの暴力を受けている状況の中、やっとのことで脱出しても、しばらくすると自分からまた戻ってしまうのである。

また、相手のために自分の体を犠牲にしてまで働く(過酷な労働や風俗関係など) ということもある。他にも恋愛関係によるもつれ(たとえば複数の相手と同時につきあっている、不倫をしているなど) から人間関係や金銭、仕事上のトラブル、社会的地位の喪失までさまざまな影響が出てくる。

セックス依存症であれば、性病になる危険性も大きい。そのような意味では、恋愛依存症は他の依存症と同じく、身体的にも、社会・経済的にもさまざまなダメージをもたらしうる。恋愛という言葉の響きが持つ魔力に騙されてはならないのである。

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