処女厨は年収厨よりもはるかにメリットがなく非合理的な理由

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処女厨を適切に守る女性。

そもそも女性は経済力のある年収厨の男性を結婚の対象にする傾向が強い。反面、男性は意外と純潔度が高い処女厨の女性を好む。

この結婚を前提とした恋愛対象に選ぶ潜在的な願望論「本音の恋愛理論度」とはいったい何だろうか?

自分では、なかなか気づけない恋愛への願望、不安などの現実の本気度の意識を紐解いてみよう。

女性は経済力のある男性を結婚相手に選ぶ確立が増えている。

参考:気になるアレを大調査ニュース!

女性同士でも、男性の前でも話すことができるのが、「今の彼のことは好きだけど、経済力がないから結婚はしない」。

対して男性は、「彼女は、本当に素敵だけど、セックスに持ち込むまでが簡単すぎた。 結婚 はもっと身持ちの堅い女でないと」、なんて、男性は決して公言はしない。

男性の処女信仰の中でも度を超えた「処女厨」は女性の経済力志向に対抗する

結婚や結婚を前提とした恋愛相手として、女性は男性を経済力で選ぶ。それに対して男性は女性を純潔度によって選ぶ。

実はこの二種類の男女の願望は、「女性が潜在的に求める男性への経済的依存」が女性の原始的本音であり、 そして、その代償として女性は、貞操の証である処女を捧げ、夫の遺伝子を受け継いだ子どもを産み育てるという暗黙の約束、了解を男性に与える。

了解ずみのはずのそんな男性の本音は、女性にほとんどわからないというべきか、理解できていない。 この認識の差 は、 今現在の病弊と呼んでも適切でなないだろうか。

非婚化・少子化の原因のひとつになっているのも納得できる。同時に男性が無意識に求める処女厨、女性が現実的な思考から求める年収厨も、この現代社会では合理的な衝動性としてはふさわしくなくなっている。

だからといって、遺伝的本音だから黙認せずに、根本的問題解消に向けて策を求めていくべきかもしれない。 なぜなら女性が男性への経済的依存を自ら容認していれば、日本の人口の半数を占める貴重な能力が効率的に稼働しないままとなり、社会の潜在的効率が実現しにくくなるし、男性が処女にこだわっているかぎり、大らかな人間関係は実現不可能のように思われる。

そして実際に処女厨については、女性からのバッシングを受けるのみならず、それ以前に男自身による自主規制がなされるようになってきているらしい。

処女にこだわるのは自分に自信をもてない男だ、という男同士の相互牽制と、セックスフレンドから 嫌われないようにしたいという打算的な考えにより、男性は公に処女厨の本音を口にすることはほとんどない。

結局のところ男女ともに自分自身が気づかない深層心理への抑圧を繰り返し、潜在的な意味で封印をすることとなる。 女性の避妊方法も父子DNA鑑定が発達するなど、女性が貞淑である必要性が減ってきていることから、本音の封印が現実的な害をなすこともめったにない。

ならば男女ともに婚前セックスを謳歌し、処女が消える傾向をむしろ促進した方がよさそうに思える。処女厨は有害無益な前世紀的欲望の残滓としてあるし、男にも女にも拒絶されるようになっている。

ただし問題がある。 処女厨は徐々に少なくなる傾向にあるとしても、 女性が現実に求める年収厨がいっこうに減ることはない。 この女性が結婚相手に求める経済力という条件は、 決して、恥ずべきことことではないどころ、 当然の不変としてこれからも増していく傾向 として社会に認められている。

この経済力ということは、男性を叱咤激励するネタとしても使われるほどだ。さらには、年収厨を心地よく感じている男性自身がいるのだ。 経済的負け組の男性には もちろん心地悪いことは間違いのない事実だが、資本主義的文化風土を現実としての願望として自ら求める女性としては、いつまでも本音吐露に寛容であり続ける。言論や文化を主導する勝ち 組の男性には心地よいイデオロギーとして継続していくだろう。

年収厨が減らない以上、男性も妥協するわけにはいかなくなるのだ

なぜならば、女性の貞操は無視できない理由のひとつとして、年収厨は核家族中心の経済システムにもとづくイデオロギーなので、それを女自身強固に支持しているかぎりは処女厨は減ることはない。

処女厨は寡黙ながら根強く残ってしまうのだ。社会や環境の変化にもかかわらず処女厨が残っている原因には、女の側の年収厨の持続があるからだ。 ネットでよくで呟かれる「養う」という語法として表現されている。

「非処女を養うことの馬鹿らしさ」と題する2ちゃんねるスレッドの随所に、あからさま な文言が繰り返されている。

女性の年収厨が反映するたびに、処女厨はたえずチカラと存在感を増していくのである。 女性の実利的現実性が、男のロマンティシズムに映し出されるという構図のようだ。

しかし、最初の疑問がまだ解決していない。よく考えてみると「年収厨」という、かなりえげつない本音を悪びれず公言する女性に対しては、リアル社会でもネット社会でも目立ったバッシングは見られない。

にもかかわらず、どうして「処女厨」を男が表明すると非難合戦の嵐が吹き荒れるのだろう か。相補的・表裏一体・対称的な二つの厨のうち、どうして男側の厨だけが女のみならず男 をも傷つけ、顰蹙を買い、炎上のもとになるのだろうか。今さらながら、別枠で整理してお に値する。

そもそも処女厨の言説というのは、現代の市民層の感覚に差し響く性質がいくつかある。 まず、 処女厨言説が非処女をはじめとする各方面の狂気的な気持ちを誘う原因を考えてみよう。年収厨発言にないどんな性質が、処女厨発言には秘められているのだろうか?

処女厨は、まず下半身トピックであること。年収厨が経済や文化に関わるドライな話題であるのに対して、処女厨 はプライベートであり身体に関わるどちらかというと神経質な事柄なので、刺激的であり、センセーショナルだ。

しかし逆に謎は深まる一方だ。なぜ、童貞やヤリマンやホモやセックスレスが揶揄され叩か れてもネットで炎上現象が起こらないのか。 むろん、ネットではえげつないシモネタが当たり前だからだ。

当たり前のことでは誰もムキになり、強い発言を行うことはないものである。 このように客観的に見ると、処女厨というトピックだけが圧倒的な論議を巻き起こしている理由は説明できていない。

処女厨の主張が誤解されている

年収厨主張に比べ、処女厨 主張は辞書的定義からはずれた言葉遣いが基盤になっているため、誤解されやすいのだ。

ネットでも「処女を捧げたらその時点で相手から結婚候補として外されるのですか?   冗談じゃありません」、という反発が多々見られるのである。

確かに、性交渉を経験した女性は処女でないという辞書的意味にもとづけば、「男が伴侶として大切 にする のは処女 だけ」、というのは暴論に値する。男性は婚約者と一回セックス したらすぐ興味を失って別の体の処女を漁り始める、という含みがあるからだ。

しかし、処女厨が表現する「非処女」は、あくまでも「結婚前に夫以外と性交渉(セックス)した女性」である。性的経験のない女性と性交渉を経験して妻になっても母になっても処女 は処女なのだ。

処女とは、生物学的概念ではなく、人間関係的概念と表現することの方が無難である。これさえ理解されれば、処女厨への過大な反発がかなりとり静める可能性はありそうだ。

処女厨が別の一つの誤解に晒されている可能性が考えられる

「非処女は恋愛対象 としても相応しくない、失格」と断定されている誤解だ。

処女厨は、結婚相手あってのイデオロギーなので、処女厨は、核家族を家父長制、および女性支配の元凶として批判するフェミニストと実は相性がよいのだ。

処女厨の主力が 結婚願望が強い男性であることは確かだが、貞操を必須とする現行の結婚制度がもし壊滅すれば、多夫多妻的な自由恋愛に処女厨も安住することになるだろう。結婚の条件としての束縛を前提したときにのみ、処女厨のヒステリックな貞操要求が生まれるのである。

むろん、処女厨説が正しく認識と理解がされても、特有の不快感は発せ続けるだろう。

聞き慣れなかったからという事情が挙げられる

「今さら非処女は無理などと言われても!そんなことは聞いていない!」と女性は騙された感覚に戸惑うことになる。 男性が本音を意図的に伏せていたせいで、深く考えずに処女を捨ててしまった。

決して遊び感覚での自分の性欲からではなく、好きな彼氏を喜ばせようとして、ムードを壊すまいとして応じてしまった。それが裏目に出るなんて。言ってくれれば処女を守っていたのに。ショックを隠しきれない。

簡単なことだからこそ、処女を捧げることに対して怠った自分が恨めしい。その潜在的な後悔に触れるだけで、非処女は怒り心頭になるのである。学校の性教育で「結婚適性と処女性」の関係を教わった上で、あるいは知恵袋で男の本音を学んだ上で非処女になったならば、当然のごとく現実は違ってきただろう。

納得ずくの選択だからこそ、後に処女厨特有の罵倒に出会っても動じずにいられたはずだ。逆に「聞き慣れていることだから」という第五の理由があるかもしれない。

女性の場合、「納得ずくの選択」が常に微妙な事実であることは周知の事実だ。 非処女の中には、処女厨説に出会う前から「やり逃げ」された苦い経験をしている女性が少なくないはずだ。

相手を恨み、自分の愚かさを後悔しているからこそ、その苦渋に追い打ちをかけるのが処女厨説 だ。「言われなくともわかってるよ! 私は馬鹿だったよ!とっくに悩みまくってるよ!うるさいわ!」と言いたくなるだろう。

処女厨的要求が当たり前であっても実は、いかにも不合理であり、理不尽に感じられることがあるはずだ。

経済的な安定収入は、婚活の条件に限らず有利であることが誰の目にも明らかな事実である。 多くの金を稼いだ男性が、生活が豊かになり、自由も手に入れられるようになる。だからスペックの高い男性と結婚したがる女性の望みは合理的であり理解しやすい。

しかし、高スペック男性のメリットに比べ、処女のメリットは、なかなかわかりづらい。非処女に比べ て本当に貞操観念が強いのか、見て判別できるような違いがないのである。

不確かな処女のメリットを褒め称え、不確かな非処女のデメリットを攻撃する態度は、オカルト信者に通ずるものがあるだろう。合理主義者であればあるほど処女厨を嫌うのは当然 と言えるだろう。

もちろん社会経済的に見れば、決して年収厨も合理的とは言えない。女性の労働条件がいかに改善されようと「やっぱりいつでも辞められるような環境にしておきたい」という本音に従い続ける甘えの側面があるからだ。

しかし、安定収入ある男性との結婚には、利己的観点から見てメリットがあることは当然のごとく依然明白だ。 反面、処女厨にはその明白さが欠けている。よって、個人レベルにおける合理性の尺度では、処女厨は年収厨よりもはるかに非合理的であると言える。

リアリスティックな年収厨と比較して、ロマンティックな処女厨は、合理主義的世界観に収まりきらず、そのぶん「いかがわしい」のだ。

至極当然、多少非合理なことであるが、「やり直し」が効くことなら、それを推奨するのも 当然のことではないか。処女厨の熱意も理解できる。しかし、非処女はもう処女には戻れない。 手遅れなのだ。

そして、第七の理由がある。もはや努力では変えることが不可能な非処女という属性を非難 罵倒するのは公平ではないのだ。反面、年収厨は違う。高収入の男性を礼賛しニートを軽蔑 することは、それなりに男性を奮起させる効果がある。

ニート男性が良き妻を得るために努力して一躍高収入男性になる可能性もあるのだから。 しかし非処女を罵倒してもそうした展望を望めるはずがない。非処女を処女に戻すことは できず、せいぜい表面を取り繕うことを促すだけだ。

処女膜再生手術などを行い、夫を騙したとしても、自分を騙すことはできない以上、女自身は嘘をつき通すことにたいしてストレスを深く受ける人生を送らねばならない。こうして、 回復の見込みなき属性をあたえられた処女厨説は、残酷であり、非生産的になってしまう。

ただし、非処女にとってはもはや変えられないことかもしれないが、処女にとっては処女 厨の言説はこれからの指針となりうるだろう。処女に対する効果に着目すれば、「非生産的」という批判は当然のごとく当てはまることはない。

処女厨説に出会ったおかげで考えを改め、助かった、という処女は少なくないだろう。処女 厨説の本 露呈性こそは、下品で俗っぽく、いかがわしさを表すぶん、学校の性教育も親の説教も及ばない道徳的説得力を持ちうるからである。

だが、処女厨説が処女にとって生産的であるからこそ、別の苛立ちが誘発されることもなりえる。

処女厨説が結婚したい女はみな処女であるべきであり、すべての男性は非処女との結婚を控えるべきである

もちろん、人の生き方は様々であり、結婚に安らぎを求めている人々ばかりではない。目新しい性的快楽を常に追い求めて悔いない女、その種の女を一生の伴侶とすべきことがスリルを感じて面白いという男性等の価値観に何も間違ったところはないだろう。

処女厨のターゲットは実際には、そうした例外的な人々ではなく、主に「処女を守るかどうかが幸せを左右する可能性の高い平凡な女性たち」である。結婚願望のない女性はもちろんのこと、波瀾万丈の結婚を何度も繰り返す覚悟のある女性も処女厨の批判対象ではありえない。

堅実であり経済的レベルの高い男性と結婚して専業主婦に収まりたい的な安定志向の平凡な女性に向けて、「長期計画なしに夢が実現できるなんて甘すぎる」と警告しているのが処女厨説なのだ。

このように限定されたてしまった「母集団」に向けられているとはいえ、普遍化言明のいかがわしさは拭えない。物理的な合理性に裏付けられない「処女性」のメリットを普遍化して憚らない独善ぶりが、多くの男女に動揺と納得をもって迎えられている有様は、懐疑主義的 な人々には鼻につく。

人間の合理的趣味は多様な個性を各々誇るべきであるはずなのに、処女性の美徳へと「正しい趣味」を強引に収斂させるナイーブな十字軍的普遍化志向が容易に納得されてしまうのはいかがなものか、と。

こうした懐疑主義者とは正反対に、処女厨説の正しさをすんなり信じられる人々にとって も、「処女厨説の生産性」は忌々しい。すなわち第九に、「寝た子を起こすな」という事なかれ主義的な苛立ちが掻き立てられるのだ。

「覚醒した非処女」にしてみれば、未だまどろみの中にいる処女どもが自分の優位を知ら ずにやすやすと非処女に墜ちてくるありさまは、まるで慰めにもなるだろうし、非処女と結婚した男性も、忌々しい「勝ち組」の夫を減らすために世の処女に無自覚であってほしい。

非処女やヤリチンにとって処女厨説が脅威なのは、処女が処女厨説に従うこと、つまり結婚 まで処女を守ることが、実はきわめて簡単だ、という理由からである。覚醒しさえすれば、処女の大多数が簡単にこの教えを守ることができてしまうのだ。

男性の「本能を目覚めさせる」ことは簡単なのだ。処女厨意識を覆い隠す文化的皮膜はごく 薄くもろいのである。あるデリケートな実例では、何らかのキッカケで結婚後に急に妻の非 処女たることが気になり始めた知恵袋の夫らのケースと響き合う。

このような「強制覚醒」を被る不快さを予感しているがゆえに、本能的に男性たちは処女厨 説が核心に触れる前にブロックしようとすのだ。処女厨発言そのものが神経質に避けられるのも無理はない。

まとめ

すべての男性にとって、処女の貞操がゆるんでいる現状は遊びには好都合である。せっかく現在社会の風潮が、個性的価値観の多様化礼賛に伴って非処女肯定に向かっているのだから、なにも各方面に不都合な処女礼賛を蒸し返すことはないだろう。処女厨というのは、ほんと無粋な野郎どもだ。

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