なぜ不倫はいけないのですか?そもそも不倫とは何を意味するのか

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小悪魔女子

「好きになった人が、たまたま奥さんのいる人だった。人を好きになることがいけないことなのか」というのは、不倫の当事者が述べる典型的な台詞なのである。

少なく見積もっても、20代後半から30代の経済力ある未婚女性の3人に1人は不倫をしている、と私は推測している。

どうやら彼女たちは、不倫を結婚とは違う上級な「恋愛」と考え始めているようだが、そんな彼女たちに「不倫がなぜいけないことなのか」を説明することができるだろうか。

そもそも「不倫」とは何を意味するのか。辞書を見ると、「不倫」とは、「道徳に反すること。特に、男女の関係が人の道にはずれること」(『大辞林 第二版』)と記されている。

また、不倫の同義語である「姦通」は、「(1) 男女が道徳や法にそむいて情を通ずること。不義。密通。(2) 夫または妻が、他の異性と肉体関係を結ぶこと。旧憲法下の刑法では、妻が夫以外の男と肉体交渉をもつことをいった」とある。

このように「不倫」と「姦通」という言葉を比べてみると、「姦通」は妻が夫以外と肉体関係を持つという意味合いが強い。

他方、「不倫」は妻に限らず、男女が広く道徳に反する関係を持つといったニュアンスがある。

男女関係における道徳とは、何だろうか。

家父長制と姦通罪

日本の場合、昭和 22 年に刑法が改正されるまで、刑法第183条に「姦通罪」が規定されていた。また、妻の姦通は民法上の離婚理由だった。

すなわち、妻が夫以外の男性と肉体関係を持つと、夫から離婚請求が可能となり、妻は姦通罪で処罰された。

他方、夫には姦通罪の適用はなく、既婚女性と肉体関係を持ち、女性の配偶者から告訴された場合にのみ、例外的に「姦淫罪」で罰せられたに過ぎない。相手が未婚女性であるかぎり、 妾 を何人かこってもお咎めなしで、離婚理由にもならなかった。

民事裁判の場では、夫から妻の姦通相手に対する損害賠償請求が認められた。妻の姦通は「夫権」の侵害とみなされたからだった。

つまり、「妻が夫以外とは関係を持たないこと」「妻の性的な魅力・能力を独占すること」が夫の権利とされたのである。

これは、妻を夫の所有物とする考え方に他ならない。当時の一部の裁判官は、夫にも貞操義務があると唱えたが、それは支配的な考え方ではなかった。

余談として、昭和初期に男性が女性の妾同様の生活をしていたケースもないではない。岡本太郎の母親でもある作家・岡本かの子(1889~1939)は晩年、夫・岡本一平と若い医師の恋人と、3人で同居していたという。

妻妾同居、ならぬ「夫妾同居」である。これはかなり珍しいケースではあるが、家父長制が完全に人々の行動を支配していたわけではないことがうかがえる。

話はもとに戻るが、妻の姦通は家父長たる夫の名誉を傷つける。妻が浮気相手の子供を産むことは、家督相続の面で家制度の根幹を揺るがす。ゆえに姦通は非難の対象となった。

すなわち、夫婦関係以外の男女の結合が倫理的・社会的に非難されるべきかどうかを判断する道徳的基準は、家父長制にあったのである。

戦後の不倫と夫婦観

それでは、戦後はどうなのか。昭和 21 年、新憲法が制定され、男女平等の世の中となった。民法の改正によって相続や婚姻関係においても男女の平等がうたわれ、刑法の姦通罪も削除された。

「姦通」という用語は過去の姦通罪と混同されるので、徐々に裁判からも姿を消し、「不倫」または「不貞行為」という用語が使われるようになる。

かつての姦通、すなわち今日の不倫においては妻だけが責められるのではなく、夫も、そして不倫相手も等しく非難されるようになった。

現在の民法下の裁判では、不倫相手の行為は「婚姻共同生活の平和の維持という権利または法的保護に値する利益」を侵害するものとして損害賠償(慰謝料)請求が認められている。

また不倫に伴う夫婦間での慰謝料請求は、夫婦が相互に負っている「貞操義務」の違反が根拠とされる。

つまり、一夫一婦制の下で夫婦が結婚生活を平和に送るためには、互いに貞操を守ることが必須である。不倫と知って肉体関係を結んだ者は、このような平和な夫婦生活を送るという権利または人格的な利益を侵害したに他ならない。

だから不倫は「不法行為」であり、配偶者の権利を侵害し精神的苦痛を与えた不倫相手は、慰謝料を支払う必要があるのだという。

以上の論理では、夫の権利・妻の権利の内容を、家父長制的「家」及びその名誉の維持というものから、夫婦の共同生活の「平和」というものに置き換えたとみなすことができる。

現在の憲法は第9条を筆頭に「平和憲法」と称されるが、国家間に限らず、夫婦間においても「平和」の重視が、不倫を非難する根拠となったのだ。

この結果、例えば夫婦関係が破綻した後に不倫関係が始まった場合には、保護すべき「婚姻共同生活の平和」が存在しないので、不倫は配偶者の利益の侵害にはならず、不倫相手は慰謝料を払う必要がない。またこの場合には、夫婦間でも不倫についての慰謝料の支払義務は生じない。

夫婦共同生活の平和を保護すべき利益と捉える現在の考え方は、家制度の維持を目的としていた旧憲法下の考え方よりも妥当に思える。

配偶者の責任と不倫相手の責任

しかし現在の判例が、不倫をした配偶者だけでなく、不倫相手にも慰謝料の支払義務を認めていることには批判も強い。不倫相手への慰謝料請求は制限すべきだと主張している学者も多い。

不倫によって配偶者が精神的苦痛を被ることは確かだとしても、第一義的な責任は、貞操義務を破った夫や妻の側にある。これを横において、不倫相手ばかりを攻撃するのはいかがなものか。

妻、夫の立場にいるというだけで、慰謝料を請求する根拠を与えているのとかわらないのではないか。公の機関が、当事者である夫婦以外の第三者の恋愛問題に立ち入るべきではない、という考え方だ。

この批判にはそれなりの説得力がある。判決で認められる不倫相手が支払う慰謝料の額が一般に300万円未満であるのに対し、不倫をした配偶者が支払う慰謝料はこれを上回る傾向があるのは、こうした意見への考慮が働いているからだろう。

夫婦の平和は、お互いの積極的な努力なくして得られるものではない。もし、第三者の干渉によって平和が乱れたとすれば、干渉を許した当事者こそが非難されるべきでである。

不倫をすることにより別れられない事態を招くこともある。詳しくは、不倫する女性が別れたいけど別れられないと悩む恋のメカニズムを参照して頂きたい。

裁判は社会の変化に半歩遅れて追随する。そして、画期的な判決が出ることによって法改正に結びつく。今後は、不倫は夫婦間のプライベートな紛争であって、公の場で非難される問題ではないという判断も出てくるかもしれない。

宗教的な戒律が人の生活を縛ることが少ない日本人にとって、生活の規律であった道徳や常識が著しく相対化した現在、何が倫理的に良くて、何が悪いのかを判断することは難しくなっている。

「不倫だって恋愛の一種。幸福追求権(憲法第 13 条)の問題だ」と主張する人だっているだろう。  不倫はいけない。配偶者を裏切ることになる。

でもそれは、裁判所すなわち国家権力が介入するような問題なのだろうか。

まとめ 古代の「不倫合コン」

日本の歴史を 繙くと、庶民の性行動は非常におおらかだったことがわかる。そのひとつの例として、「 歌垣」が挙げられる。

『万葉集』にもうたわれているこのイベントは、主に独身の男女が結婚相手を探すために集って歌い踊り、求婚の短歌を掛け合って親交を深め、意気投合すればその日のうちに性的関係を結ぶこともあるという、合コンのような行事であった。

ときには既婚の男女が参加することもあり、どうやら、この日だけは神も特別に不倫を許していたらしい。

歌垣に参加した既婚女性が男性からプロポーズの歌をもらい、誘いを断るために詠んだ歌が『万葉集』に残っている。拒絶した歌だからこそ、掲載しても無難と判断されたのだろう。

実際には、多くの人妻が誘いを受け入れる歌を詠んだはずである。現代の過激な「歌垣」を描いた映画といえるのが『アイズ ワイド シャット』。これは、『2001年宇宙の旅』で有名なスタンリー・キューブリック監督の遺作で、ほとんど乱交パーティのようなセックスの儀式が登場する。

作中では、NY在住の医師ウィリアム(トム・クルーズ)が、妻(ニコール・キッドマン)の浮気願望の告白に戸惑い、一人夜の街を徘徊し、偶然、郊外の館で催される秘密の仮面パーティに紛れ込む。

このパーティでは、参加が許された者だけが、宗教的な儀式に引き続いて裸体を晒し、談笑とセックスを楽しんでいたのだ。

R― 18 指定の映画だが、いやらしさよりも荘厳さ、裸体の美しさが際立つ。ポイントは、パーティ導入部分。ここでもまた、特別な儀式が人を非日常へと解放する契機となっていたのである。

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